消極的やり込むタイプ

こんにちは、タピオカです。誰だよ。

このブログ更新を心待ちにしている奇特なファンの皆さんにはお待たせして申し訳ありません。

 

まぁなんの話かというと、広く浅く触るのか、狭く深く突き詰めるのかというようなことです。大抵のことはどちらかに分類されるように見受けられます。

ただこの深さっていうのは非常に曖昧なもので、その個人(や団体)によって許容できる総量も違っていれば、浅い深いの定義もまちまちなので、絶対的な物差しはありません。深くやっているつもりの人が浅くやってる人に及ばないこともままあります。

 

基本的にあなたが余程大成する器でないなら、広く浅くやっておいた方が効率的ではありそうです。ある程度のところまで行くと成長が鈍るのでその手前で止めておけば同じ労力で多くのことを得られることが多いんじゃないでしょうか。

一番労力に対して得られる成果が大きく、いわば葉の柔らかい部分だけ食べているようなものなのです。

 

ではどうして深く向き合うタイプの人がいるのかと言うと、葉を食べつくして幹や茎に辿り着けた者の得られる効用は、葉だけ齧っている人とは次元の違う愉しみだからではあります。根本的に求めているものが違うわけですね。

 

人間は情報の非対称性こそあれど基本的には合理的な選択をします。ではどうして頑張っても葉止まりなのに深くやりこむ(つもりになる)人がいるのかということになってきます。

ちなみに私もこの分類の人間です。

 

それは単純に、新たな試みに対するコストの方が、既知のものから得られる僅かな成果と比べて重いと判断しているからだと考えられます。平たく言えばめんどくさいんですけどね。

1から2にするのは簡単でも0から1にするのは難しいので、新しく何かに触れるということは最初の部分だけ若干の難しさがあります。ここで挫折するわけです。

結果として3が沢山作れるわけでも、10がひとつ作れるわけでもなく、4~6くらいの使い物にならないものがいくつかできてしまうということです。

早熟タイプと晩成タイプっていうのはまぁおそらくあって、晩成タイプであるもののそこまでの努力ができない人間がここに落ち着いているとみて間違いないでしょう。

 

ちょっと抽象的に書きましたが、今私はひとつ0から1にしなければならない事案を抱えています。ここが非常に頑張りどころです。

 

なにはともあれ、応援よろしくお願いします。