決定力

こういうお題のない文章って苦手なんですよね。

 

読んでいる層がどこなのかわからないけれども面白い内容にしたい。いや、面白い文章が書けるかどうかは才能なので面白くないにしても、できるだけ幅広く伝わる内容が望ましい。

広角に打ち分けられる文章力が求められるわけです。

その点テーマを絞ったブログやなんかは読む側もそれ専用のシフトを敷いてくれるわけなので、相対的には簡単ですよね。

 

ところで、たとえを用いるときに何かと野球を使ってしまうのは日本人の特性なんでしょうかね。国民的スポーツかどうか議論しだすと面倒くさいのでそこは割愛しますが、すぐに「〇〇で打線を組んでみた」りするあたりは打順と役割について共通の認識が浸透しているということで間違いないと思います。

ただまぁ常識は変わっていくものであって、近年はNPBでも攻撃的2番を取り入れる球団が増えてきていて、従来の「打率は低めでも進塁打が得意で足が速くて小技が使える」みたいなイメージ(…であってるよな?)が過去のものになる…とまでは言わずとも、人によって相違が出てくる可能性はあります。

なんの話だかよくわからなくなってきてますけど、とりあえずちゃんと考えて文章を書いていこうということで。

 

さてそろそろ本題なんですけど、決定力ですね。

話の流れとして野球だったので得点力みたいな感じになってますけど、別にそういうことではなくて。単純に「決断」とまでいかない程度に軽い日々の「決定」の話です。

私にはこれがないんですね。

 

…ここまで書いて自分の中の「決断」と「決定」のイメージが正しいか微妙だったのでサクッとググった感じ

決断…きっぱり決めること (きっぱり…固い決意ではっきりと行うさま)

決定…はっきり決める(決まる)こと (はっきり…あいまいでなく、確かなさま)

とあるので、決断は決定の上位互換であると言っていいと思います。ついでに言うと決断は「決める」だけで決定は「決める・決まる」なので、その強さは確定的に明らかでしょう。満塁の場面なら決断がホームランを打てる能力、決定は単打でも犠飛でも点を入れられる能力というところでしょうか。

 

例えば友人と食事に行くとき、何を食べに行きますか?ここでいう友人とは年が近くて、趣味が近くて、環境が変わっても年に数回遊びに行くくらいの仲だとします。

私の場合これという食事へのこだわりもなければ予算のこだわりもないので正直な話「なんでもいい」わけで、サイゼリアでも叙々苑でもいいわけです。

この場合に主張のある人(食べたいものが決まっている人)や強固な共通認識(この集まりでは毎回ラーメンを食べるなど暗黙の了解)があれば話は簡単ですね。

 

それがなくても結局は何かを食べないといけない(または解散するのですがそれにしても「決定」を伴う)わけで、主張のない中で何とか決定するんですね。相手の考えを読みつつ(考えがないから読めない)、ありきたりな方向に流れていくんです…誰かなんでもいいから主張してくれ。

 

先輩後輩や上司部下の関係なら基本的に立場が上の人がそれを先導するので議論が詰まることはありませんが、友人同士の場合これが中途半端に難しくしています。つまり、誰が中心になるかはっきりすれば膠着した議論は進むわけです。

 

じゃあどうするか。

これはあくまで私見なんですけど、同じ年齢の集まりでは「誕生日が一番早い人」が主導権を握るべきだと思っています。一番年長なんだからより世界を知っているし深い教養があるんだから当たり前だよなぁ!?

日本は年功序列社会なんだよ!って言うと先の2番の例の如く時代は変容しつつ~って言われると思いますが年功序列でいいんです。こちとら平成初期に生(まれて)きてるんだよ!

ちゃんと社会人の責務として若者を導いてほしいと思います。もちろん年長者への尊敬もセットです。

 

以上、この文章が届いて欲しい人の心に刺さってくれれば幸いです。

長々書いたけど最後の段落だけでよかったよねこれ?